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さかなのおにいさん
かわちゃんブログ

vol.4 「さかなのおにいさん かわちゃん」
誕生秘話

2023/12/15

今回は社内報でもお届けしたインタビューの一部をお送りします。
(当社SOUTH WINGで実施しました)

こんにちは。魚の魅力を子どもたちにオモロく、分かりやすく伝える「さかなのおにいさん かわちゃん」です。実は僕は、「アナウンサー」や「ラジオDJ」や「歌手」や「イラストレーター」としても活動をしています。

今は、こんなにたくさんの夢を叶えられていますが、ここに来るまでは何度も挫折を経験して、「自分は何にもなられへん」と思ったこともありました。それでも、飛び石のように次へ次へと前に進むことができたのは、たくさんの人の応援があったから。そして、海や魚、歌やイラストなど、自分が好きなものに対して持っている自分なりの「ものさし」を大切にしてきたから。今の僕を作ってくれた、たくさんの出会いをお話します。

西宮神社で開催したおさかなワークショップ。色とりどりのオリジナルエコバッグが完成しました。

幼少期:自然に親しみ、魚の魅力に取りつかれた!

僕が生まれた時には、家の玄関に1mほどの大きな水槽が置いてあり、その中で「クジラのクゥちゃん」を飼っていました。後になって友達から「これはクジラじゃないよ、ナマズだよ」と言われて父親に確認すると、「実はな、これは『ナマズのナーちゃん』やねん」と言われて衝撃を受けたのですが(笑)、幼い頃から魚に慣れ親しむ環境があり、生き物が大好きでしたね。
僕が特に影響を受けたのが、クゥちゃんをナマズと見抜いた、幼馴染の男の子。魚マニアで、一緒に水族館に行ったり釣りに行ったりする仲でしたが、小学4年生の時に引っ越してしまいました。寂しくて、その日から「お別れのしるしに」ともらった図鑑を毎日読みふけりました。そこで初めて、「同じ魚でも、色も形も全然違うんだ!」と発見。魚の魅力に取りつかれていきました。

その一方で、小学生時代は週末になると家族で田舎暮らしを体験しました。滋賀県のマキノ町に行って、木を切って小屋を建て、薪を割り、窯を作り…という原始的な週末を6年間も!僕は薪割りをするのが嫌で逃げ出して、溜池で釣りをしたりイモリを捕まえたりして遊んでいました(笑)。初夏になると宝石のように輝く川魚を見て感動したり、蜂に刺されて痛い思いをしたりと、その一つひとつの体験が、図鑑では見えない自然の真実の姿を教えてくれました。

滋賀県のマキノ町で自然体験をしていた頃。ヘビを捕まえました!

挫折期:夢やぶれ、再出発を誓った離島での出来事

中・高・大学では西宮の学校に通いました。高校と大学では関西学院グリークラブに所属してたんですよ!部員からメンバーを募ってアカペラに挑戦し、TV番組の「ハモネプ」に出演したことも。それがきっかけで一気に世界が広がって「歌で人に喜んでもらいたい!」と歌手を目指しました。
ところが夢は叶わず、挫折。それでも声で人に喜んでもらう仕事はしたいと思い、テレビ局のアナウンサー試験を何十社と受けるも、最終面接で全て落ちて挫折…。「これまで好きなことをできたから、もう普通に生きていこう」と一般企業への就職を決めました。

入社まで半年ほどあったので、「最後にやりたいことをやるぞ」と思いたち、広島の離島の旅館で住み込みのバイトをしました。そこは、家のすぐ目の前が海!毎日のように、港で仕事をしているおじいちゃんと一緒に夜釣りを楽しみました。イカを釣っては料理をして、島のおばあちゃんにお裾分け。すると、おばあちゃんも島のみかんや大根を玄関のドアノブにかけてくれるようになって。地域の人たちとどんどん仲良くなっていきました。

バイトも終わり、とうとう島を出る前日の12月の寒い日に、港のおじいちゃんが家に来てくれ、「また一緒に釣りしような」とあたたかい缶コーヒーを2本手渡してくれて。船が出発する時にはおばあちゃんが見送りに来て「かわちゃんをテレビで見るのを楽しみにしてるよ」と手を振ってくれたんです。夕日に照らされてオレンジ色に染まる海と、そこに浮かび上がる島の絶景を見つめながら、「あんなに応援されたことないよな。ばあちゃんたちが生きている間に、応援してよかった、と思ってもらわらないと嘘みたいやな」と思って。そして、もう一度夢に向かって進んでいこうと決めました。

広島県の離島「大崎上島」でアルバイトをしていた頃

アナウンサーになり:「さかなのおにいさん かわちゃん」が誕生

島から戻った僕は、夢を叶えるためにフリーのアナウンサーとして活動を始めました。少しずつ、オーディションを経て番組への出演機会も増えていきました。そして、大好きな魚のことを番組で話していたことがきっかけで、KISSFM神戸のラジオ局では「川田一輝の生き物レッスンれでぃお」という番組がついにスタートしました!「さかなのおにいさん かわちゃん」と名乗り始めたのもこの頃からですね。子どもたちに歌の楽しさを教える「うたのおにいさん」のように、子どもたちに魚の魅力を伝える人になりたいと思ったんです。それに、さかなのおにいさんって言ってたら、体操のおにいさんや歌のおにいさんの横にしれっといられんじゃないかなと(笑)。

ある日、番組宛てに4歳の男の子のお母さんから一通の手紙が届きました。そこには「家族で海に行った時に、子どもがゴミをたくさん拾ってきたので褒めると、『かわちゃんが海にお魚がいっぱいいるって言ったから。お魚も友達だから、家にゴミがあったらかわいそう』と当然のように話してくれて、感動しました」と書いてあって。
それは、僕の「魚が好き」という気持ちが価値につながった瞬間でした。二十数年間、自分が好きなことをやってきたけど、それがきっかけで子どもが魚を好きになってくれて、海をきれいにしてくれたんです!夢が叶わず鬱屈としていた頃、僕の心を癒してくれた海にこんな形で恩返しができるなんて。一生をかけて、さかなのおにいさんとしてたくさんの子どもを魚好きにして、海に恩返しをしていこうと決心しました。

イベント中に子どもたちを飽きさせないために、と独学で描き始めた絵は、SNSでもバズっています!

FURUNOとの出会い:海を未来につなげたい。

2022年の夏には、西宮のイベントでFURUNOさんと出会いました。その後も一緒にお仕事をするうちに、漁業をサポートする技術、さらには必要以上に魚を獲らないようにする技術を持っていることを知り、感銘を受けました。
僕は魚のことを子どもたちにオモロく伝える。FURUNOさんは魚群探知機やレーダーなどで海の安全を守る。やっていることは違えども、「海の未来を守る」という目的は同じです。一緒に海を守る活動を広げたい!2023年の夏からは公式アンバサダーに就任して「海を未来にプロジェクト」にも参画しています。

僕がこれからFURUNOさんと実現したいことは、世界中の子どもたちを海好きにすること。その子どもたちが、僕のように「好き」を周りの人々に広げることで誰かのハッピーにつなげられたら、きっと海だけでなく、その子の人生も豊かになると思うんです。これからFURUNOさんと一緒に、海の魅力を伝える仲間を増やし、海を100年後、200年後の未来につなげていきたいと思っています。

公式アンバサダーに就任し、FURUNOさんの西宮本社にも何度かお邪魔しました!

「さかなのおにいさん かわちゃん」はみんなが育ててくれたもの

高校時代から今まで、たくさんの夢を思い描き、たくさんの挫折を経験してきました。でも今は、「さかなのおにいさん」という一点で全ての夢が交わって、やりたかったことが実現できています。先日は、シナプシュというTV番組のコンサートで、6000人親子の前で歌を歌い、割れんばかりの歓声を受けました。ついに、「うたのおにいさん」にもなれたー!
「さかなのおにいさん かわちゃん」は、僕の人生を救ってくれました。これは僕一人の活動ではなく、皆さんが作って育ててくれたもの。皆さんがこの活動を応援してくれて、それが海や世界の未来を良くするという循環を大切に感じながら、これからも海を守る活動を続けていきます。

トレードマークの魚の蝶ネクタイは同級生の、海をモチーフにしたシャツはラジオのリスナーさんのお手製。